時代のうねりの中で、常に秘湯は人々の暮らしの支えであり、また癒しであった。隆盛を極めた秘湯もあれば、名の知れぬ秘湯もある。「沓掛温泉」あなたはその名を聞いたことがあるだろうか。田山花袋はその地を『信州には著名な温泉が数多いが、沓掛温泉ほど四季とりどりの美しさに恵まれた処は無い』と讃えた。かつての平安の歌人も沓掛の地への思慕の念を詠っていた。
信濃路は 今の墾道刈株に 足踏ましむな沓はけわばせ
濃路はまだ切りひらかれたばかりの道です、
切り株に足を踏みぬきなさることもあるでしょう、
くつをはいていらっしゃい、私の良人よ。
濃路はまだ切りひらかれたばかりの道です、
切り株に足を踏みぬきなさることもあるでしょう、
くつをはいていらっしゃい、私の良人よ。
信濃なる 千曲の川の細石も 君し踏みてば玉と拾はむ
信濃の千曲川の小石でさえ、
あなたが踏まれた石ならば、
玉と思って拾います。
信濃の千曲川の小石でさえ、
あなたが踏まれた石ならば、
玉と思って拾います。
田園風景の中に佇む沓掛温泉は1200年の歴史を刻んできた。その湯は平安時代に開湯し、滋野親王が眼の病を治したと言い伝えられる名湯であり、「万の病症に効顕著しきこと他に比いなし」といわれた薬湯でもある。
◎
飯山で明治から続く酒屋を営んでいた初代文四郎は奥山田の広大な自然に惚れ込み、山の頂で満山荘を創業させた。1964年、東京オリンピックの年のことである。当初、繁忙期は学生の合宿や団体で賑わうスキー宿であり、文四郎のユニークな人柄は訪れる人々を楽しませた。
満山荘はその名の通り北アルプス全山を一望できる、山に満ちた宿であったが、三代目がたすきを繋ぐこの節目に宿は奥山田を離れ、そして沓掛に移転した。いにしえから続く歴史を受け継ぐために…。
平安から沓掛の源泉は人々の生活そのものであった。夫神岳の山あいにある静かなこの秘湯で、現代に生きる我々は、沓掛の歴史を生きた人々の息遣いを感じ、想いを馳せる。沓掛の湯はその歴史を人知れず守り続けてきたのだ。
二代目は語る。
「満山荘が沓掛に移転したのは大切な人との約束を守り続けてゆくためだった。それは人の情けであり、癒しであり、秘湯を守るということだ」。創業以来この約束は満山荘に生き続けてきた。お客様との約束を胸に新天地、沓掛で満山荘は歴史を紡いでいく。